Spirituals について


The History of Black Music
(黒人霊歌の歴史)




・・  1. アメリカ黒人の歴史の黎明期--南北戦争開戦まで  ・・

歴史     音楽

・・・・・・・・・  2. 南北戦争以後 ・・・・・・・・

歴史     音楽





・・  1. アメリカ黒人の歴史の黎明期--南北戦争開戦まで  ・・
    
●歴史
 1619年8月末。ヴァージニア州に20人の黒人がオランダ人に連れられて上陸したのが、黒人奴隷の歴史の始まりです。その後、南北戦争直前の1860年までに、100万-150万人の黒人たちが、アフリカ大陸から連れてこられたとされています。初めのうちこそ、奴隷の身分で数年間働いたら自由を得られる Indentured servants という身分でしたが、1600年代後半には、一生涯奴隷の身分を強いられる Servants for Lifeとして、強制的に連れてこられたのです。

 大西洋を渡る船の中では、鎖につながれて鉄の足かせをはめられ、狭い船室に閉じこめられて「荷物(percel)」と称されていました。彼らは、白人によって売買され、家族も兄弟も引き裂かれて強制労働を強いられました。読み書きも教えられず、集会も禁止されました。しかし、彼らの一部は、主人に連れられて教会に通い、キリスト教の教えを受けました。1664年にはヴァージニア州で、黒人たちにキリスト教を布教するようにという制令が出されています。ただし、それは奴隷たちの束縛を免除するものではない、と明記されています。

 1775年、アメリカはイギリスとの独立戦争に突入します(〜83年)。兵士の確保のために、「戦争に従軍した奴隷には、自由が与えられる」という法令がだされます。それが引き金となり、北部各州で奴隷禁止の運動が高まり、1780年から1830年にかけて、奴隷制度は完全に廃止されていきました。一方南部では、繊維工業の発達に伴って、 綿花の栽培が主要産業となり、1800年代初頭には、奴隷の需要はいよいよ高まっていきます。1800年にはアメリカ全体で100万人だった黒人が、1860年には440万人、そのうち400万人が南部の奴隷でした。

 南部の奴隷たちの多くは、Plantation という農園で暮らしました。主人(Master)の中には、20人以上奴隷を持つ者もいましたが、多くは2〜3人から15人以下の奴隷を所有していたようです。彼らは、夜明けとともに農場に駆り出され、日が暮れるまで労働しました。また、農耕の道具や衣類、靴、加工食物を作る仕事も行います。反逆や逃亡を企てた者は容赦なくリンチを受け、殺されても問題にされませんでした。

 奴隷の逃亡を阻止するために、白人たちは常にパトロールを行いました。一方黒人たちは、一部の自由黒人を中心にして Underground Railroad という秘密組織を作り、1700年代から1800年代前半にかけて奴隷たちの逃亡を助けました。


●音楽
 1600年代の教会音楽は、Psalm(賛美歌)といわれ、聖書の言葉を歌うものでした。これは、1730年頃から Hymn (Hymnal、聖歌)といわれる歌に発展します。宗教的な詩をテキストにしたものです。

 黒人たちには、祖国アフリカから伝承された音楽があります。アフリカでは、打楽器や特殊な弦楽器を用いた音楽は、伝達の手段として用いられ、日常生活に欠かせない要素です。彼らはさらに、主人たちのパーティーのために、ダンスのための音楽を歌やバイオリンで演奏する訓練を受けました。また、綿花畑で労働中に、居場所を明らかにするために歌を歌い続けることを要求されました。日曜日以外の集会は禁止されていましたが、仕事が終わった夜中や日曜日の明け方に、秘密の集会を行うこともありました。 さらに、Steal Away、Swing Low, Sweet Chariot, Good Newsなどの歌は、逃亡のチャンスが来たことを告げるサインにも使われたようです。このように、奴隷たちが日常生活の中で歌った歌は、Slave Songsと総称されます。

 キリスト教の布教を受けた彼らは、教会で、又は野外の集会場で、許された日曜日に集まって宗教的な歌と踊りの集会を始めます。New Orleans のコンゴ広場、NewYork の Pinkster Dance、Philaderphia の Jubilees などの集会が知られています。1818年にはコンゴ広場で、500-600人の黒人がいくつかの輪になって集まり、ドラムやバンジョーを鳴らしながら午後の3時から9時まで、歌い踊り続けたことが記録されています。

 これらのSlave Songsを初めて記載した本「Slave Songs of the United States」が、1867年に出版されました。この本の中で、彼らの歌った宗教的な歌を「Spirituals」という言葉でまとめています。Spirituals には様々な形態があったようです。礼拝(worship)の中で歌われた曲、ただ座って歌われた曲、葬式で歌われた曲、キリスト教の Hymn との融合で生まれた曲 (My Lord, What a Morning、Steal Awayなど)、そして Shout を伴うものなどです。Shout を伴うものは、Ring Spirituals、Running Spirituals、Shout Spiritualsなどと呼ばれます。これらは、礼拝(worship)の後や、Camp ground と呼ばれる集会で歌われました。Shouter が歌い始めて Singer がそれに応え、Dancer たちは踊りながら次第に高揚していき、Shouter が疲れ果てて地面に倒れると次の者が登場し、5〜6時間にわたって延々と、「Holy Spirit が体の中に入って最高の境地に達するまで歌う」という様子でした。
 注:I'm Gonna Sing 'til the Spirit Moves in my Heart は、まさにこの雰囲気を再現しているわけです。

 一方北部では、黒人の教会を創る動きが盛んになり、1788年の First African Baptist Church を初めとして、African Baptist Church(1805)、First African Presbyterian Church(1807)、St. Philips Episcopal Church(1818)などが次々と設立します。1786年にOld St. George's Methodist Church で初めての黒人司祭(Paster)となったRichard Allenは、1801年には56曲の黒人の Hymnal を集めた本を出版します。 「A Collection of Spiritual Songs and Hymns Selected from Various Authors by Richard Allen, African Minister」という題名のこの本は、Hymnal の歌詞だけが記載されており、どのような曲が歌われていたのかは解りません。北部ではこの時期に既にプロの黒人音楽教師が出現しました。Newport Gardner (1746-1826)は、14歳でアフリカからやってきて18歳で作曲を始め、45歳に賭事で当てたお金で自由の身分になり音楽学校を設立した、初めてのプロの音楽家です。

 因みに、白人の世界では1770年に、ヘンデルのメサイアがアメリカで初演されたと記録されています。







・・・・・・・・・  2. 南北戦争以後 ・・・・・・・・


●歴史
 1861年、リンカーンが大統領となり、南部の奴隷解放に向けた方針を打ち出します。これに対して南部の諸州は、北部からの独立を目指して「南北戦争」が勃発します。1863年1月1日、リンカーンの奴隷解放宣言が実施される前夜、ワシントンをはじめとして各都市で、南部の奴隷解放を願う「Go Down Moses」の大合唱が夜通し歌われました。南部の諸州では、1865年に南北戦争が終結し、奴隷解放が実現します。

 自由を獲得した黒人たちには、ある意味では白人からの保護を失ったため、生活や命を懸けた試練が待ち受けていました。1869年に初めて完成した大陸横断鉄道「Union Pacific」を皮切りに、各地で行われた鉄道建設には多くの黒人たちが従事し、黒人労働者のヒーロー John Henry を歌った労働歌「This Ol' Hammer」や「Gospel Train」などが生まれました。

 その後も、黒人たちの差別は続きました。現在のアメリカ社会では、表向きは「人種間の平等」を声高に叫んでいます。しかしこれは、「平等」を叫ばなければならないほどの不平等が、根強く残っていることの裏返しです。バスケットボールや野球でこそ、黒人のスーパースターが目白押しですが、ゴルフの世界ではつい最近まで黒人プレーヤーはメジャーな大会から閉め出されており、1996年にタイガー・ウッズが黒人初のメジャープレーヤーになったことは、記憶に新しいことです。


●音楽
 私たちが現在、黒人の音楽の恩恵を受けることができるのは、そのルーツである Slave Songs の背景や魅力だけではなく、それを優れた現代的な作品に昇華してきた多くの黒人音楽家によるところが大きいと思われます。

 黒人霊歌が、音楽作品として評価された最初の演奏は、1871年にテネシー州ナッシュビルにあるFisk大学に生まれた Fisk Jubilee Singers の活動です。George L.White に率いられた11人の歌手とピアニストは、全米各地のみならずヨーロッパにも演奏活動を行い、各地で絶賛されました。これに引き続き、1872年にはヴァージニア州にある Hampton Institute や、南カリフォルニアの Fair Field Normal Institute が活躍しました。

 Fisk Jubilee Singers は、1878年に活動を終了しますが、その後はそのメンバーたちを中心にして Loudin's Jubilee Singers、McAdoo Jubilee Singers などなど、数多くのプロのアンサンブルが生まれ、活躍します。ちなみに、Jubilee とは、奴隷解放の祭りの意味です。

 アメリカの黒人音楽界に大きな影響を与えたのは、ドボルザーク(1841〜1904)でした。彼は、1892年から1895年まで、ニューヨークの National Conservatory of Music のディレクターとしてアメリカに滞在し、黒人の音楽のモチーフを盛り込んで「新世界より(1893)」「弦楽四重奏曲アメリカ」などの作品を残しました。彼は同時に、黒人の音楽を収集する意義を説き、弟子の William Arms Fisher は、1926年に「Seventy Negro Spirituals」を編纂しました。黒人作曲家 Harry T. Burleigh(1866〜1909)も、ドボルザークに師事して黒人としては初めてアカデミックな音楽教育を受けた作曲家となりました。ピアノ伴奏でソロ歌手が歌う「Deep River」など、数多くのアレンジを残しています。

 現在でも私たちの取り上げている Hall Johnson(1888〜1970)は、少人数のアンサンブルではない本格的な合唱の形態でアレンジを残しています。彼の率いたコーラスは、ブロードウェイやハリウッドでも黒人の音楽を実現させました。 William Levi Dawson(1899〜1990)は、数多くの合唱アレンジとともにオーケストラ作品もたくさん残しています。Frederick Douglass Hall(1898〜1982)は、「DryBones」 「Everytime I Feel the Spirit」で知られています。これらの作曲家の多くは、1920年代から1950年代までに活躍し、作品を残しています。

 黒人音楽「Black music」からは、数多くの音楽ジャンルが派生しました。ラグタイム、ブルース、ジャズ、ゴスペル、R&B、ロックンロール、ソウル、ディスコ、ラップ。これらは、必ずしも宗教的な背景を持つ Spirituals を起源にはしていませんが、アフリカ黒人たちがアメリカやヨーロッパの文化の影響を受けて創造した音楽という点では、合唱で歌う黒人霊歌と共通のルーツを持っています。

 ブルースと Spirituals は、必ずしも区分しきれない特徴--悲しみや孤独感--を持っています。Spirituals は、より宗教的、より一般的な感情表現、集団的な雰囲気を持っていますが、ブルースは宗教色が薄く、直接的な感情表現、個人的な気持ちの吐露が中心です。

 1912年頃から、ブルースよりも即興的な要素の強いジャズが生まれました。ゴスペルの起源は1850年頃の Protesutant City-Revival Movement に遡ります。Spirituals が主として南部の田舎で発展し、屋外で歌われ、アカペラだったのに対し、ゴスペルはより都会的で、テントやホール(Tabernacle)で歌われ、多くはキーボーなどの伴奏を伴っていたという違いがあります。1920年にシカゴ・ゴスペルを確立してゴスペルの父と呼ばれた Thomas Dorsey、現在CDでも聴くことのできる Mahalia Jackson(1912〜1972)などが築き上げました。 マライア・キャリーは、その音楽的基盤をゴスペルに置いていますし、現在でもゴスペルはアメリカの黒人教会の主役です。

 R&Bは1940年代から興り、スティービー・ワンダーに代表されます。1950年代にはロックンロール、1960年代にソウル、1970年に入ってディスコやファンク、そしてディスコから派生したラップが現代の黒人音楽の代表です。

 合唱音楽としての黒人霊歌も、これらの音楽の進歩に歩調を合わせて発展して来ました。力強いアレンジのロジェー・ワーグナー、アメリカの合唱界の神様だったともいうべき Robert Shaw は、より洗練された合唱作品としての黒人霊歌を作り上げました。1998年の Robert Shaw の急逝は、Hall Johnson に始まった20世紀を代表する合唱作品としての黒人霊歌の、一つの集結を象徴するような気がしてなりません。そして今回出会った Moses Hogan(注)は、まさに私たちと同世代を生きる黒人音楽家です。R&Bやラップの時代の黒人霊歌として、黒人の音楽史の忠実な後継者として、現代の黒人の感性で、200年前の黒人奴隷たちの本質に鋭く迫った音楽を提供してくれます。

 忘れてはならないのは、彼の作品には、現代の黒人たちが(ひょっとしたら彼自身が)未だにおかれている差別的な状況を訴えるフレーズが、随所に現れる事でしょう。彼らは決して、満ち足りた物質文明の恩恵を受けて、豊かに贅沢に暮らしているわけではないのです。

注:名古屋コール・ハーモニアは1999年12月の第20回定期演奏会で、Moses Hogan 編曲の黒人霊歌を日本の合唱団として初めて取り上げました。2000年4月現在、彼の作品は30曲以上出版されています。

この文章は、第20回演奏会に当たって団員の黒人霊歌への理解を深めるための団内資料として 1999.5.22 に作成されたものです。

参考文献
The Music of Black Americans, 3rd ed. by Eileen Southern. NortonLife on a Plantation. by Bobbie Kalman. Crabtree




   
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